シテ方
坂井 音雅
Otomasa SAKAI
昭和49年生まれ|青山学院大学卒
観世流 シテ方能楽師|重要無形文化財総合認定
「観るだけで十分、という人にこそ学んでほしい」
能楽の魅力は、なんといっても繊細かつ緻密な所作と、美しい日本語で情景を表現できる豊かさ。
そして、台本をもとに誰もが舞うことのできる完成度の高さです。
そんな話をすると「だけど、能楽は難しいのでしょう」と返す人がいます。本当にそうでしょうか?
私は、難しければ難しいほど上達する楽しさ、おもしろさがあると思います。
見所から観賞したり、観阿弥と世阿弥が残した書物を読んだりするなかにも多くの学びはあるでしょう。
ですが、これらが凝縮された舞台に身を投じてこそ、先人が残そうとした訓えとは何かを紐解けるはずです。
最初は、白足袋のこはぜを留める清々しさ、和服に腕をとおす気持ち良さを知るだけでも十分です。
能楽師が数百年にわたり受け継ぎ、磨き上げてきたその精神性や粋を、
たくさんの方と一緒に探求できること以上に素晴らしいことはありません。
日常にはない能楽の楽しさ、奥深さにぜひ触れてみてください。
稽古の時から本舞台と同じような良い緊張感を適度に持ちつつ、真摯に取り組むことです。
手は抜かずに力まないという極地に持っていくためにも普段の稽古から心掛けています。
失敗は数知れません。
失敗を忘れずに前を向き歩み続けます。
自分が能楽師を生涯の仕事にするんだという覚悟がまだ足りなかった時の話です。
ある能楽師の先輩との酒席で、その方が “自分は好き嫌いで能をやってるんじゃない。やるからには天職と思って全身全霊をかけてやらないといけないのだ” と私に仰られました。
おそらく私の能に対する迷いを見抜いていたからこその言葉だったと思うのですが、その瞬間にハッと気付かされました。
周りの人に助けてもらいながら、ここまで能の世界へ導いてくれた環境に感謝しています。
義経記を題材とした現代能の代表作【安宅】です。
能楽師がとても大切にしている作品であり、能ならではの魅力が濃縮されています。
主役であるシテ方が演じる弁慶の背中で魅せる芸や、主君である冨樫に対する揺るぎのない想いが胸をうつ人間愛の詰まった作品です。
純日本製の畳草履ですね。
日本製のものは大分数を減らしているのですが、材料である竹から育てて、その竹皮を職人さんが編んで完成させる草履は格別です。
能舞台や装束でも同じ事が言えるのですが、目先の綺麗さだけでなく年百年先の変化を見据えた日本人らしい美意識を感じられるものに愛着を感じます。
人生そのものです。
舞台を辞めろと言われると生きてる意味がないなってしまいますね笑
シテ方
坂井 音隆
Ototaka SAKAI
昭和51年生まれ|青山学院大学卒
観世流 シテ方能楽師|重要無形文化財総合認定
「能楽とは日本の伝統文化の集合体である」
能楽のなかで私が最初に興味を持ったのは、お囃子でした。
笛がもたらす美しい旋律、脈拍にも似た鼓の音。
これらを聴くとからだの芯からリズムがあふれるような気持ちに駆られたことをいまでも思い出します。
能楽はこのほか、完成された様式美を持つ舞をはじめ、古典文学の奥深さや謡の力強さ、
能面の美しさ、装束の華やかさなど、たくさんの魅力があります。
茶道や華道に通ずるこころを感じる方も多く、どこを入口にしても探求心を満たせる懐の深さは、
さながら日本の伝統文化の集合体と言えるでしょう。
また近年は、海外からの関心も高まっています。
謡の独特の節や、能面、装束が持つ芸術性が注目を集めることは多いですが、
シェイクスピアに通ずる古典文学の精神性に感銘を受ける方もまた少なくありません。
仁和能楽學舎は、国内のみならず、海外からのお客様にも門戸を開き、能楽や日本文化の持つ侘び寂びのこころを発信してまいります。
皆様のご来校をお待ちしています。
舞台にあがるまでに心身を鍛え、舞台へは穏やかな心と研ぎ澄まされた精神で望むことを心がけています。
舞台は生もの。思うように行くことが難しく、アクシデントもあります。
失敗により舞台の流れが破綻し作品が壊れてしまうこともありますが、何よりその失敗を恐れず全身全霊をもって望んだ後の失敗は成功にはない逆説的な魅力もあると思います。
自身の失敗については不意の怪我により舞台に穴を開けてしまったことがありました。
秘曲・大曲といわれる「道成寺」を勤めたことです。
能楽師にとって一人前の証とされるこの作品は、いわば学業でいう卒業論文のようなもの。
能楽師にとってやり直しのきかない一期一会の今この瞬間に向き合うため、食事制限をしたり、お弟子さんにつける稽古をお休みし、このことだけに集中し、勤められたことは幸せなことであったと思っています。
稽古に励んでいると言いたいところですが、家でのんびりくつろぎながら、モーツァルトやブラームスといった交響曲だったりヒーリングミュージックを聴いたりしてリフレッシュしています。
一般的には非日常の世界とされる能が私の日常だからこそ、そこから少し離れてリラックスするということも大事だなと思っています。
自分の人生と共に向き合い追求をし、研鑽していく果てしない世界です。
年代によっても能への向き合い方は変わっていきます。
若い時には分からなかったテーマが自身の経験を通して分かることもあります。
能は見る人や自分自身の人生観に裏打ちされた想像力で奥深いところを掴み取るもの。
難しいとされていますが、無の状態にまで削ぎ落とした能の世界だからこそ、見る人の心を動かすのだと思っています。
「命に終わりあり、能に果てあるべからず」と世阿弥の言葉にありますが、そんな答えのない世界を継承し、伝承し広めていくことが使命だと思っています。
シテ方
坂井 音晴
Otoharu SAKAI
昭和53年生まれ|青山学院大学卒
観世流 シテ方能楽師|重要無形文化財総合認定
「能楽の持つ美意識を世界に発信する場として」
足利義満、織田信長、豊臣秀吉……
歴史に名を連ねる時の将軍たちは、普段の自分の役割を忘れ、別世界にひとときだけ身を置くことのおもしろさや開放感に、能楽の妙味を見いだしたともいわれています。
自分ではない姿を演じたり、非日常を感じたりすることは、私たち現代人にとってもリフレッシュ法のひとつです。
能楽は、所作の美しさを身に付けたい方からも人気です。
能楽は神様に捧げる神事であり、礼儀や作法の延長線上に舞や型があるという考えかたをするため、礼節を学ぶのに最適なのです。
年齢に関係なく始められるお稽古として、そのすそ野は広がりつつあります。
地球の裏側のことまで瞬時に分かる時代にありながら、能楽は何百年もの伝統を長い時間をかけて、ゆっくりからだに浸透させていきます。
その非日常性に魅了される方は、後を絶ちません。
能楽で、メリハリのある豊かな人生を。
現実の日常空間と舞台上での非日常との区別、境界を自分で意識することです。常に非日常を意識して舞台に接していられればいいのですが、身体が少し疲れていたり、本番の舞台まで時間が空いていたりすると、舞台に挑む心が少し薄くなることがあります。舞台に望む真摯な心や自分を律する気持ちが出ないとだらしない舞台になってしまうため、慣れて慣れるなという気持ちで望んでいます。
人間が持つ普遍の深層心理が描かれている「野宮」や「井筒」です。いわゆる複式夢幻能と呼ばれるお話で、主人公であるシテ方が前半にこの世における生身の化身、後半にあの世における亡霊というように二重の役割を演じ夢幻の境地を誘います。人間誰しも生きてるうちは百パーセント満足して生きている訳じゃなく、ああすればよかったという心残りや後悔、未練を持ち合わせるものです。そういった想いを作品を演じることで代弁できるのはとても深い意味があると思いますし、他の演劇には見られない能ならではの特徴です。これらの作品は観るのも好きですし、自分で演じててもやりがいがあります。
達成感かどうかは分かりませんが、作品の中に自分が溶け込んだような感覚のときですね。
特に予定は決めず稽古をしたり、街をぶらぶら散歩します。なるべく普段から着物を着て出かけるようにしています。
若い時に読んだ本を再び読みかえすことです。当時はただただストーリーが面白いと思っていた本が、今読み返してみるとと登場人物の心情変化やその後の展開に想いを馳せたり、当時とは別の切り口で考えることができるので面白いです。能楽にも同じことが言えるはずで、30代で見た時の舞台と50代で見た時の舞台から得られる感触にも違いがあると思います。
現代の日本でも世界のどこでも誇れる芸能、芸術だと思います。だからこそ常に謙虚に、畏敬の念を持って広めていきたいと思っています。
シテ方
津村 聡子
Satoko TSUMURA
昭和39年生まれ|東京藝術大学大学院卒
観世流 シテ方能楽師|重要無形文化財総合認定
「能を知ることは日本を知ること, 日本人の心を知ること」
能は舞踊をともなう音楽劇です。現在伝えられている約200曲の能はそれぞれが1話完結の物語。
源氏物語・平家物語・伊勢物語、神話や民話などから題材を得て七五調の美しい詞章で作られています。節の旋律にのって繰り広げられる物語は、多くの観客の心を深く打つドラマです。
それゆえに650年余り伝えられ愛されて来ました。能を学ぶことは、日本の文学や歴史を学ぶこと。
面や装束は伝統美術を知ること。何より受け継がれる伝統世界は日本人の心を改めて知ることができます。
興味の尽きない能の世界を楽しみましょう。
舞台に向けて考え得る万全の体勢でありたいと思っています。自分のできる最大限を舞台上で発揮できるように心掛けながら稽古に臨んでいます。
花筐は、狂女者というジャンルに分類される女性が主人公のお話です。天皇に即位することが決まっている恋人から、手紙と花籠が送られてくるところから始まります。演者としては、恋人の即位を喜ぶ気持ちと、もう二度と会えないかもしれないという切なさの心情表現が難しいお話です。狂女とは心乱れた状態の女性のことですが、その動機が何なのかを理解することが大切だと思っています。師匠からお稽古つけていただくときも登場人物の心情について細かく話しあい、自分の中で消化してから舞うように心がけています。能の表現には決まった型があるのですが、心の表現については能楽師それぞれが想う能があると思います。見てる方へ如何に面白く伝えられるかを考えながら演じました。
修行中の時から数限りない失敗があります。
特定の舞台というよりかは、稽古を一番いちばん丁寧に当たっている時に達成感を感じます。
健康であることです。膝を悪くした時に出会ったインストラクターの方について、日常的にストレッチをする日を設けています。もう10年近く続けているのですが、腹筋をつかった呼吸法を取り入れています。能の運びや発声にも繋がっていると実感してます。
読書です。特に友人でもある川奈まり子さんの実話怪談にはまっています。
人生です。
狂言・お囃子方
山本 則重
Norishige YAMAMOTO
昭和52年生まれ|東京藝術大学卒
狂言方 大蔵流|重要無形文化財総合保持者
狂言・お囃子方
竹市 学
Manabu TAKEICHI
藤田流笛方
故11世宗家藤田六郎兵衛に師事
狂言・お囃子方
河村 宗一郎
Soichiro KAWAMURA
石井流大鼓方
父河村総一郎に師事
狂言・お囃子方
後藤 嘉津幸
Katsuyuki GOTO
幸清流小鼓方
先代宗家幸円次郎、父後藤孝一郎に師事
狂言・お囃子方
加藤 洋輝
Hiroki KATO
観世流太鼓方
故16世宗家観世元信、故助川龍夫に師事
顧問
坂井 音重
Otoshige SAKAI
社団法人 観世会 顧問
FEC 民間外交推進協会・日露文化経済委員会 委員
重要無形文化財総合指定者
前・財団法人 野村文華財団 評議員
慶應義塾大学 名誉博士
能楽の持つ美意識を世界に発信する場として
古めかしい。敷居が高い。能楽にそんな心象を抱く方は多いでしょう。しかし、能とはすなわち能力です。ここでいう能力とは、日本人が本能的に持つ美意識と私は考えます。仁和能楽學舎は、この美意識が能楽のなか、人と人とのこころの通い合わせをとおして磨かれることを願い、開かれました。能楽は600余年の古い歴史を重ねるなか、時代とともに変化してまいりましたが、人の幸せやこころの安寧を願う思いは普遍のまま、受け継がれています。一方、いまの世の中はどうでしょう。効率化が進み、多様性が重視されるようになった結果、日本人が大切にしてきた礼儀や人どうしのつながりが希薄しているように感じます。このように、過去と現代、理想と現実の対比が明確な時代だからこそ、能楽は人のこころのなかに自然観や美意識を取り戻す手立てにならなければいけないと思っています。では、これから能楽を学ぶ方には、どういった心構えを必要とするのでしょう。大切なのは、自分のこころの解放と他者を受け入れる思いです。どうぞ気持ちをゆったりと構え、能舞台の静寂さに心身を預けてみてください。すると、能楽からの学びはまっすぐこころに届き、反芻し、あなたを新しい世界へといざなうことでしょう。仁和能楽學舎は、『こころの豊かさの共有』をテーマに、能楽の美意識を世界に力強く発信する場を目指してまいります。